世間的普通

この1年くらい、さまざまなシーンで「普通ってなによ?」っていうのを常に考えてきた。年齢とか性別とかいう普通のジャンルから、スキルとか姿勢とか生きざまとか、中くらいのことから概念的でよくわからないことまでまあ、いろいろいろいろ。
考えすぎてます。
でも、
考えなくて流されるより、ぜったいいい。

そうして考えたスキル・ジャンルのひとつ、某検定を本日きちんと受験してきました。 これからも仕事をしてゆく自分のコアスキルのひとつとして大切にしてゆきたいという思いは、自分から捨てる必要はない、と思ったためです。
学生さんからかなり年配の方まで、検定大流行の日本とはいえ、これだけ性別年齢がクロスしている検定はないのでは・・・って英検とかもっとすごいのか?? すごい数の受験者が検定にのぞんでいました。
ここだけの話、スキルに関する基本知識書を3冊、本当に1回読んだっきり、過去問題すら一切見ていない、というなめきった準備だったので、受かる方が不思議ですが、この関連知識をしっかり学習していることは世間的に大切であることが実感できました。 来年は一気に合格するよう準備します。
ここに書いても仕方ないんだけど、MURさん、ありがとう。そしてごめんなさい。次こそちゃんと。

世間のひとたちが普通に持っているはずの危機感が、なんだか妙にねじ曲がったり薄くなったりしている場所で毎日仕事をしているという意識が日に日に強く強くなっています。 金曜日に上司に言われたました。「仕事なんてやりたいことができるわけない。誰かが損をするんだから(この場では君が損をするべきだ。) 言われたことだけきちんとやってればいいんだから。」・・・・・・そうですか。 そう思うならぜひそのままそうしていてください、私を巻きこまないで。 私はこれからも、自分の意思と、できる限りの努力と、周りからの愛情と信頼を大切に大切に、できる限り自分の行きたい方向へ、自分の力と周りからのサポートをいただきながら進んでゆきたい、そう思います。