目で観て考えて3

休みの日は、全く朝起き上がることができません。
これが平日だと、確実に5時台に目が覚めてる。今ではお日さまや小鳥より早く起きてるんですねえ。
変です。っていうか、多分相当だめな状態だ、とも思う。

最近のストレス解消?一環でもある料理をしながらふと思ったのだけれど、

私今、多分、仕事が「大変」なんじゃなくて、「すごく面白い」のではないだろうか。

シーカヤックを始めた時期。 思い返せばその頃は、お金だけあって、仕事は「超弩級に」暇で、
家族もまだ今のようにすっごい病気ではなくて、で、目的もなかった。
考える習慣なんて全くなかったし、
行動がロジカルじゃなくてそのときの感情だけ(「だけ」がポイント)で動いていた、
だから、
海に出たあともいろんなものに振り回されたし喰い物にもされた。この量は、
得られた何物にも代えがたい素晴らしい経験の重さと、総量としては同量だった、って今では思う。
勝間和代とかいなかったしな、当時は。

私にはすぎた仕事が、ほんとに偶然巡ってきて、
当初、は状況的に同僚に恵まれず、またひとりで考えて考えて考えて今まで来たけど、
シーカヤックを始めた時期と違うのは、シーカヤックと海の経験がベースにあったことだ。
とにかくこの私が「レース」なるものに出場しちゃったんですよ。
「検定」とかいうものも受けちゃったんですよ。
で、人の前でぜんぜんダメ、全くダメ、記録=ビリ、とか結果出して。
相当の人には理解されず、多分相当馬鹿にもされていたと思う。
でも、それでも好きだったり、ビリでもとにかく完漕したり次の年にも出たり、
とにかくレースから学んだことは計り知れないし、まだその全体を語ることもできないけれど、
そのプロセス・経験が仕事をする下敷きとしてあったから、
(しつこいようだけれど)私には過ぎた仕事が続けられ、そして今仕事が「面白い」と言えているのだと思う。

毎週海へ通っていられる方たちに共通すると感じることがある。
 ・海にしかいられない人
 ・それを支えるご家族があること
私は多分、前者にはあたる者ではあるけれど、現状後者にはまったくあたらない。
仕事して、家事をして、家族とすごして、
それでもうエネルギーがとにかく手一杯なのだ。
仕事をするって、そういうことなのかもしれないな、とこの年にして思う。
幸いなのは、それでもなお、本は読めていること。
(そして、読んだことを試してみる場として仕事ができること・・・・・?)

今しばらくこの行き詰まり状態は続きそうに思いますが、ここをきっちり越えて、
しっかりした大人として海へ戻りたいと心から願っています。