漕げない日々

『いま心を奪われたり、とらわれたりしているものは、
心の占有面積は大きいように見える。
でも、深層には、もっともっと大きな
「本当に自分の心が求めるもの」が
横たわっていることがある。

その方向にいかないと、
あさっての方向にいってしまうと、
進めども、進めども、満たされない。』
(先週水曜日のほぼ日刊イトイ新聞「おとなの小論文教室」より、一部を抜粋転記)

シーカヤックは、お金はかからないけど体力が相当ものすごくかかる「スポーツ趣味」です。 努力とか技術とか継続とかいろいろ言いますが、私の知ってる限り、体格と体力と勘があれば、努力なんてしなくても2日でさくっと中長距離、「漕げる方は」漕げます。 もちろん、海況ほかのコンディションに恵まれるのも必要条件ですし、セーフティーに対する配慮が不可欠であることも一応書いておきますが。  で、漕げる方ほど、飽きるのも早い、かもしれません。 だって、人間、すぐ手に入るものなんてすぐ飽きる、でしょう?

漕ぎの切れ目は縁の切れ目。 そうならないように、大切な場所は、数を増やさず心から大切に。 また、冒頭引用の文章からも目をそらさずにゆきたいと思っています。