hand・i・cap・ped

三省堂辞書によると
『━━ a.(身体・精神に)障害のある(the 〜.障害者たち);(競技で)ハンディキャップを付けられた』。

右手の握力が、今のところ、ない。 キーボードも、右手はグーで打ってます。 一本指打法でも何とかなるもんだ、仕事。。 そういう状況でよかった。。。

先日、握力が弱って「ビンのフタが自分ひとりで捻れない」という母のために、補助具を探してスーパーIYを歩き回ったけれど、その不便さを今、身をもって感じている。 「手で握って回す」タイプのドアノブが何故「ひとに優しくない」と言われるのかもよくわかった。

足首の痛みが弱くなった今も、「道路/通路の段差」には敏感だ。 ちょっとした「数段」の階段が越えられなくて、どれだけの苦労をしたことか。

あって当たり前の身体機能を失った時、「世間にとって普通」というハードルが、あるカテゴリーの人にはどれだけ高く越えづらいものか、がよくわかる。 これ以上を語る言葉を今の私は持っていないけれども、今いろいろ感じていることは忘れてはならない、と思っている。