怖がらないで

落ちた館内階段は、2階会議室に行くにも、帰宅するにも、必ず使うわがビルの大動脈。 でも、落ちてからひと月、怖くて怖くて、どうしてもそこを通ることができなかった。 って整体助手の先生に言ったら、「そこも通らないと治りませんよ〜」・・・・で、はじめは人に一緒に行ってもらって、なんとかやっと一人でもそこを降りられるようになった・・ような気がする。

固めて治療した靭帯を、今少しずつ電気治療とマッサージで伸ばしているのだけれど、施術中によく先生に言われる。「本当は、もうもっと伸ばせるんだけれど、足が『そこまで伸ばしたら痛かった』って記憶にとらわれてて、僕が伸ばそうとすると抵抗しちゃうんだよね、自然に。」 ・・・痛かった「記憶」・・・なんか、いろんなことに通じている、ような。。

どんな治療を施しても、時間をかけても、記憶に残る痛みはどうにもしようがない。 だって、言うじゃないですか、腕を切断した人が、もう今はない指先の痛みを、時に感じることがあるって。

記憶は記憶で打ち消そう。 打ち消せないものであるなら、そっとフタをして、そっと毛布にくるんで、最初は足元に、少しずつ見えないところに、いつの間にか、モノいれの隅に、忘れ去るまで。 

「記憶」は確かに痛みを思い出させることはできるけれど、これ以上自分を「傷つけ」「痛みを与える」力などない。 怖がらないで。