人を撮る楽しさ

tomboy72005-09-05

African Night2005の写真、帰宅してからパソコンにダウンロードしてみたら、ゆうに300枚を越える枚数にびっくり。 そんなに撮っていたか、と言えば、撮ってました。。 いや、ほらGO&渉さんのためだから。 とはいえねえ、300枚ったら、見るのも大変なはず・・・・

私が写真をちゃんとやってた時は、AFがまだなくて、カメラ本体(NIKON FE)も重い鋼鉄製で、手ぶれは「カメラの重さを腕できちんと支えられてないから」起こることだった。 デジカメって、軽すぎてシャッター押す勢いでぶれるんだ、って知った時の驚き! FEとズームニッコールとマイクロニッコールと400ミリ&テレコンバーター抱えて尾瀬に行った日もありましたっけね。。

時代の流れがAF→デジタルカメラと進み、その間に写真撮影に対する私の気持ちも相当写真から離れていたのだけれど、ひょんなことから始めたシーカヤックの「ツアー写真」を撮るためにディスコン品とは知らずに手に入れたSONY サイバーショットU60。 シーカヤック入門後の私の旅には、必ずこいつが一緒だ。

メモリは常に贅沢に。 これはフィルム時代の記憶がさせていることだと思うんだけど、フィルムは買えるけど、シャッターチャンスは一瞬。 一つのシーンに3種類の構図。 無駄と思ってもシャッターは切っておく。 思い出し始めると、構図取り、結構楽しいものだった。

デジタルカメラは賢いから、もう絞りだの焦点だの測光だのはお任せ。 ただ、楽しいシーンを、二度とない瞬間を、もう一度みんなが見たいと思うようなシーンにレンズを向けて行くうちに、気が付いたら「人を撮る」ことができるようになってきた自分に気が付いた。

以前カメラをやってた時、私がとにかく苦手だったのが「人を撮る」こと。 構えて、構図決めて、絞り見て、シャッタースピード決めて、はい、撮りますよ〜、、こんな一瞬の時間でも、撮られる人には一瞬の堅さが出来てしまうし、それをまた私も敏感に感じ取ってか?!、撮った写真はいっつも堅かった・・・・

写真はあらゆる意味で正直だ。 人の脳は、無意識にあるイメージにものごとをあてはめて見ようとするから、目で見た人の印象って結構「こう見たい」っていうのに左右されるけど(だから、第一印象って大切!)、写真はほんとうに「その一瞬」を切り取っている「光の記録」。「切り取り方が下手」だととんでもないことになる・・・・特に「人の写真は」。

なーんてくどくど言い訳しながら、人の写真に対する苦手意識を長い間持ち続けてきたんだけど、、最近撮った人の写真、結構自分でも「お、、」と思う、よい表情をつかまえられていることが多いのだ。(・・・・と、思う・・・・) これは、シャッター切る思い切りがよくなったから? 撮られる側の気持ちが私に向かっているから? 撮られる人と私の間に、なにか気持ちの交流みたいなもんができはじめている、から??

ま、理由はどうでもいいや。 今私は、人の写真を撮ることが、とっても楽しい。 それは多分「場の力=撮っている場所に対して自分が感じている、親しみとか愛情とかそんなもの」にもよるんだろうな。 海の力はおっきい。 カヤックの力も。 私を受け入れてくれている、ホーム:コアの力も。 これからも大事にしなくっちゃね。