そこに扉がない、のなら

壁に向かって叫んでも、壁をたたいても、仕方がない、のだ。 「縁」という扉がないのなら。

私の決断は「遅い」。 ほんとうに。 考え始めてしまうともう、どこまでも考えて、ぐるぐる廻って、そのうち手も足も出なくなって。 考えることすら放棄して、こそこそ逃げて忘れたふりしたことが、いっぱいあった。 なかったことにしたり、見えなかったことにしたり。

私はこの日記の中で、果断な行動に出たり、大上段に構えてものごとを言い切ったりしているけれど、実際の私はいつも迷って、途方にくれて、立ち止まって動けなくなってばかり、だ。

ほんのごくたまに、くっきりと光が射すように「自分にとって一番大事」なことが見えた時、それに向かってただまっすぐに、進んでいる、だけ。 そうできないことがほとんどである、って言ったら、信じてくれるだろうか。 ほんとに、そうなのだから。

昨年からずっと、何故かうまく進まない「あること」。 これにこだわり続けることが、もしかしたらすべての関係を台無しにするのでは、とまで思うこともある。

ひとつの道具なのだ。 どうしてもそれに「縁がない」、のなら、こだわって追い続けるのは無駄、って思う。 

私の身体が非力で小さい以上、補う道具は不可欠。 だからといって、そのひとつの銘柄にこだわり続けることに、どんな意味があるのだろうか?