久留和へ

長者が崎から久留和へ戻る海には、うねりが出てきて、シットオンタイプのカヤックの上にも波しぶきがかかったり、波を越えた後カヤックがちょっと跳ねることもあった。
この翌日のb2でも同じことを感じるのだが、私は、「波・うねりに対する怖れが鈍くなっている」?! 思えば、ツアーの時もそうだった。ダブル艇前は、うねりが出た海では相当波しぶきがかかったり、跳ね上がったりする。でも、不思議と「怖さ」を感じないのだ。・・・・・6月の試乗会で吉角さんのダブル艇前に乗せていただいた時に経験した強烈な海の体験が、こんなところに生きている?・・・じゃなくて、悪影響を及ぼしている??「怖い」っていう感覚が鈍っているっていうことは判断力が落ちるってことで、相当やばいことはないかと私は思うのですが。

帰りも、秋山さんの着実なパドリングに支えられて、私たちのカヤックはまっすぐ久留和へ向かう。 ちょうど、昇ってきた半月が中天にかかる手前で、夕刻には曇りがちだった空もすっきりと晴れ、空には星がたくさん輝いて見えた。 漕いでいる間、カヤックを「まっすぐ」進めることに集中しすぎていたこともあって、空を見上げて星を見ようとほとんどしなかったことが、今は悔やまれる。

既に夜の闇は深まっていて、それぞれの艇も参加者が身に付けている明かりを頼りに見分けるしかない。 艇を並べて、声を出せばそれが誰だったかがやっとわかるが、前後左右を漕いでいるのが誰なのかは、シルエットだけでは全く見分けがつかない。
海岸の134号線沿いからは、街灯、住宅・店舗などの明かりが輝いて見え、私たちのいるところとの明度の差から、陸から私たちはほとんど見えていないんだろうなあ、と思う。 陸地からは漆黒に見える海の上は、陸に近いルートをとっていたせいもあるのだろうが、思っていたほどの真っ暗闇ではなかった。艇下の海は確かに深く黒くうねっているけれど、海上は明度の低い薄いグレーで、空気がクリアだったせいもあるだろうが相当見通しも効く。

そんな中、一旦全員の艇を止めて休憩した。 ガイドさんに言われるまま、まわりの海を手でかき回してみると、驚いたことに数え切れないほどの夜光虫が光り輝いて見える! さっきの海岸では、見つけることにも苦労した夜光虫が、今はまわりじゅうに数え切れないほどいる・・・! パドリングに必死( ←最近の私の傾向。「楽しく漕げ」と、翌日散々言われる。ったって、まだ無理(泣) )だった私は気づかなかったが、久留和への戻り道、海に差し込んだパドルが海面をかき回す、その中にも、夜光虫が限りなく光り輝いていたのだ・・・!
艇や参加者に海水をかけると、そこにいた夜光虫が艇や服にくっついて光るのも楽しく、ひとしきり皆で水をかけあったり、海をかき回したりする。

再び久留和へ戻る間中、パドルが掻き回す海水の中にはたくさんの夜光虫が輝いていた。 進行方向向かって右後ろには、中天の空に輝く半月の光が海面に映りこみ、月へ向かう白い光の道になっている。 秋山さんと二人で、「できることなら月に向かってずーっと漕いでいきたいねえ、」と語り合う。

海に出るようになってから、「夢を見ていた」ことをよく思い出すようになった。 そしてとにかく、「海の上にいる」夢が相当多いのだ・・・・ただ「揺られている」夢。 「夢の中の海」は、もう少し明るいのだけれど、この日見ることの出来た月へ続く白い道は、いつかどこかで見たことがある、と考えて、次の短歌を思い出した。

  • 暗きより 暗き道にぞ入りぬべき 遥かに照らせ山の端の月(和泉式部)

どのような解釈が一般的、かつ正しいのかはここでは置く。 私の中で、月の光が遥かに映り込んでいる水面は、「夜」「凪」の海、だった。

こうして、昼間の賑わいがうそのように静かな久留和海岸へ戻り、この日のナイトパドリングは終了した。 参加者は皆、期待以上の夜光虫の美しさや夜の海を体験したことでとても満足そうだった。 

河でカヤックをされているかばちゃんの知人の方に、河と海のカヤックの違いを伺うことができた。「河は流れの方向が一定なのでほとんどど安定していて、危険な地点はわりと限られている。波の影響はないし、風の影響はそれほど受けないため、海ほどパドルを動かす必要がない。ただし、ロールは絶対できないとだめ。河の方が水温が低いと思っていたので、海に来てこれくらい(2時間強)漕いで、こんなに身体が冷えるとは思っていなかった」ふむ。そういうもんなんですね。。

9時をまわって、参加者がほとんど帰途に着いた後も、コアスタッフはまだカヤック+ギアのメンテで慌しく立ち働いていた。 楽しいイベントの裏に、それを成功させた後、次のイベントに向けてまた準備をするスタッフの姿がある。 頼もしく、本当に大変な世界。 スタッフのスタミナがこれから山場を迎えるシーズン中保つことを、心から祈る。